チョン·ヨンウ前大統領府外交安保首席のスピーチ「反日根本主義と親中事大主義の亡霊が蘇った」

[전문]독립문 건립 123주년 기념식..."반일근본주의와 친중사대주의 망령 되살아났다" (【電文】独立門建設123周年記念式「反日根本主義と親中事大主義の亡霊が蘇った」)

http://www.pennmike.com/news/articleView.html?idxno=38127

 

以下、全文和訳。

 

21日午前、独立門の前の広場で独立門建設123周年記念式典が開かれた。「未来代案行動」と国民労働組合が主催を、「ナラ守護高校連合」が後援を受け、チョン·ヨンウ前大統領府外交安保首席とイ·ソルア世界市民宣言共同代表が講演者として出席した。

 

出席者らはこの日「国の独立と民主主義を守ろう!」というスローガンと共に123年前の今日完成した独立門の精神を振り返った。主催側は「韓国の独立運動と民主主義の歴史は123年前の昨日、1897年11月20日、ちょうどその日から始まった」と強調した。


香港国家保安法のため身元は明らかにできないとした匿名の香港民主化運動家は祝電を通じて「中国共産党は常に浸透を準備している」とし「彼らはあなたたちも知らないうちにあなたたちの政治に関与し、あなたたちの資本を侵食させていく」と警告した。続いて「私たちの次になることを望まなければ、いつも起きていなさい」と言った。


チョン·ヨンウ韓半島未来フォーラム理事長(元大統領府外交安保首席)はこの日の記念演説で、「123年前にソ·ジェピル先生が迎恩門と慕華楼を崩してその場に独立門を建てたのは、中国に対する事大と屈従の歴史に終止符を打ち、近代的な自主独立国家として生まれ変わろうという意志を対内外に確実に刻印させるためのもの」とし「ところで独立門が建設されてから123年が過ぎた今の大韓民国の姿はどうですか。123年前に比べて国家指導層は賢くなり、国際的大勢はよく把握しているようですか? 反日根本主義と親中事大主義の亡霊がむしろ蘇っているようではないですか。」と述べた。


チョン理事長は「中国に屈従せずに堂々と中国の圧迫と脅威に対抗できる世の中に逢ったにもかかわらず、韓米同盟を活用する考えができず、屈従以外に他の選択がないと錯覚する人が多いようだ」とし「今後は中国の覇権的横暴で大韓民国を守ることが外交安保政策の最大の宿題」と述べた。


チョン理事長は文在寅大統領を批判し、「中国夢は韓国が命をかけて避けなければならない悪夢」と強調した。 習近平が言う中国夢はすなわち「偉大な中華民族の夢」で中国が支配する東アジア秩序への回帰を意味するという説明だ。


以下はチョン理事長の記念演説の全文だ。


独立門建立123周年記念の辞


チョン·ヨンウ韓半島未来フォーラム理事長


本日、独立門建設123周年記念式典を主催してくださった未来代案行動のイ·デスン代表と国民労働組合のイ·ヒボム委員長、誠にありがとうございます。 そして工事ご多忙の中でも、この意義深い行事にご出席くださったすべての方々に心よりお礼申し上げます。


今日、独立門がいつ建てられたのか、知らない国民も多いです。 独立というと当然日本からの独立だけを思い浮かべる方が多いでしょう。 この独立門のすぐ裏にある公園が、抗日独立闘士たちが投獄され、獄中生活を送っていた西大門刑務所の場所だったからでもあります。


今日ここにお集まりいただいた皆様方は、あえて説明の必要がないと思いますが、独立門は123年前に日本ではなく、中国から独立したことを記念するためにソ·ジェピル先生が建てた記念物です。


独立門が建てられた場所には、本来、中国の勅使がムアク峠を越えてくると、朝鮮の王が直接出てきて出迎えた「迎恩門」と「慕華楼」がありました。 「迎恩門」は「恵まれた中国の使臣を迎える門」、「慕華楼」は「中国を思う旅館」という意味です。 近くに勅使の宿所である太平館がありましたが、勅使のための歓迎会は宮殿で開催されたのではなく、王が太平館まで来て開きました。


朝鮮の国王より中国の勅使の位階が高かったので、勅使をむやみに宮殿に来いということはできず、国王が勅使を訪ねなければなりませんでした。 最近の話では、中国大使が到着した時、大統領が空港に出向いて出迎え、大使を接待しに明洞の官邸に大統領が訪れるという具合です。


中国の使臣が来ている間には毎日朝から晩まで手厚い接待を受け、帰る時には莫大な贈り物を与えてくれました。勅使のもてなしという言葉もここから出ました。勅使が一度、国庫の半分がなくなるほどだったそうです。朝鮮の王は太子を冊立するにも、中国の天子の決定が必要でした。中国の天子が次期王の任免権まで行使したわけだから、このような人事権を武器に勅使がどれほど横暴を振るったでしょうか。このような勅使を相手にロビーを行い、歓心を買うことに国家財政を使い果たし、朝鮮に勅使として訪れた中国の官吏は、大金を稼いでいったといいます。


123年前、ソ·ジェピル先生が迎恩門と慕華楼を崩し、その場に独立門を建てたのは、中国に対する事大と屈従の歴史に終止符を打ち、近代的な自主独立国家として生まれ変わろうとする意志を国内外にはっきりと印象付けるためのものでした。ソ・ジェピルは1884年、開化派が主導した甲申政変に加わり、清の軍隊の鎮圧で九死に一生を得て、米国で長い亡命生活を送っていましたが、清の戦争で朝鮮が清から解放されたという知らせを聞いて帰国しました。帰国後は、11年前に清の介入で挫折した開化の夢を叶えるために独立協会を作り、独立新聞を創刊して自主独立国家建設のための意識化運動の先頭に立った偉大な先覚者でした。


西欧文明の洗礼を受けて独立協会を結成した先覚者たちは、近代化と自強を通じて自主独立国家を建設する千金のような機会の窓を開きましたが、なぜこの機会を生かすことができず13年ぶりに日本に国を奪われたのでしょうか。国が滅びるのには理由が多いでしょうが、その中でも最高の理由は、国の進路をめぐる指導層の分裂、国際情勢に対する無知と誤判、そして国王の無能が合作して作った悲劇です。


第一に、指導層が分裂した理由は、中国の政治的支配から解放された後も、朝鮮の主流社会は依然として中国の文化的·精神的支配から抜け出せず、精神分裂の症状を経験したためだと思います。理念戦争で独立協会を中心とした開化派が朱子性理学的世界観に陥没した守旧勢力に勝つことはできませんでした。華夷秩序という二分法的な観点で世界を眺めた朝鮮の衛正斥邪派にとって、中国は文明と善であり、日本と西洋は野蛮と悪を代表する勢力でした。 開化だけが朝鮮が起死回生する道でしたが、明治日本を見習おうという発想は、親中守旧勢力としては到底追従できない異端的かつ革命的な発想でした。


開化の援助が日本という理由だけでも、朝鮮の主流社会は拒否感を持たざるをえなかったし、甲申政変と甲午改革が挫折したのもそのためだと思います。朝鮮の衛政斥邪派に当たる日本の「尊王攘夷派」は「西洋の蛮夷」に勝つ方法を西欧式改革から見つけ、明治維新の主体勢力となりましたが、朝鮮の衛政斥邪派はこのように命がけで開化を妨げる守旧勢力となりました。


結局、反日根本主義に陥没するあまり、自発的な開花と自強の機会を逃し、むしろ日本の侵奪を早める結果を招いたのではないか、振り返る必要があります。


第二に、朝廷と士大夫が、あまりにも世界の大勢に暗かったのです。韓半島に利害関係を持つ列強が最も心配したのは、ロシアが韓半島で影響力を拡大することでした。日本はロシアの脅威にもっとも敏感でしたが、英国も1885年に巨文島を占領し、1902年には日英同盟を結ぶなど、ロシアの南下政策に総力を挙げました。米国と中国もロシアを牽制しなければならないという点では利害関係が一致しました。ところが、朝鮮だけがこのような世界の大勢に逆行し、ロシアを韓半島に引き込もうとしました。朝鮮は日本だけでなく、英国や米国など、味方になりうる強国を敵に回す自虐的外交にしがみついたのです。


親ロシア政策の主役だった閔妃が日本に殺された後1896年高宗がロシア公使館に避難したのは、朝鮮の運命を取り戻せないようにした決定的失敗でした。高宗がロシア公使館で下した最初の命令は、甲午改革勢力を逆賊に追い込んで孝を命じたことでした。これにより朝鮮の自発的な改革への希望は消え、日本は戦争を通じてでもロシアを韓半島から追い出す決心を固めたのです。


ロシア。日清戦争以降、日本が大韓帝国の外交権を強奪するための乙巳条約を強要する際に無策でやられざるをえなかったのは私たちに力になってくれるような国を全て転じることに作った外交の失敗に根本的な原因があると思います。もちろん日清戦争日露戦争で勝って東アジアの覇権国家になった日本と戦って、私たちが勝つ力もありませんでしたが、親露政策が日本の朝鮮侵奪の口実を提供し、孤立無援を招いた事実は否定できません。


最後に、朝鮮が実存の危機に瀕した時、我々の君主は無能で無気力で優柔不断でした。高宗は自分の王権を守るため、独立協会と万民共同会を中心とする開化派を迫害し、亡国を自ら招いた愚かな君主でした。27人の朝鮮王のうち、無能のチャンピオンを選ぶとすれば、文禄·慶長の役の時の宣祖、丙子胡乱の時の仁祖、日本に国を奪われた高宗が熾烈な競争をするでしょうが、私は高宗に一票を投じることをためらいません。


ところで、独立門が建設されて123年が過ぎた今の大韓民国の様子はどうですか。 123年前に比べて国家指導層は賢くなり、国際的大勢はよく把握しているようですか? 反日根本主義と親中事大主義の亡霊がむしろ蘇っているような気がしませんか?

 

歴史的に韓半島に対する脅威は、常に東アジアにおける覇権を追求する勢力からきています。 1895年の日清戦争で太平洋戦争が勃発するまで、東アジアの覇権国家は日本でした。 その間に世の中が変わり、今は中国が東アジアの新興覇権勢力に浮上しています。20世紀初めまでは、大国に囲まれた弱小国が生存する道は、覇権勢力との正面衝突を避け、属国になるか屈従するしか選択の余地がありませんでした。120年以上前に日本の覇権から朝鮮の独立を守ることが至上課題だったように、これからは中国の覇権的横暴から大韓民国を守ることが外交安保政策の最大の宿題です。


約120年前は、韓半島に領土的野心のない域外大国と同盟を通じて覇権勢力に対抗することは不可能なオプションでした。ところが20世紀後半に入ってから、米国との同盟によって周辺強大国の脅威と侵奪から大韓民国を守る新しい道ができました。中国に屈従せず、堂々と中国の圧迫と脅威に対抗できる世の中に会ったにもかかわらず、韓米同盟を活用する考えができず、屈従以外に選択がないと勘違いする人が多いようです。


3年前、韓中に「THAAD3不合意」を妥結しています。北朝鮮の核とミサイルの脅威から5千万の国民の安全を守る大韓民国の安保主権を中国との取り引きの対象とし、我々の自衛権を制限された屈辱的な合意でした。中国の経済報復をもみ消そうと韓米同盟の根幹を傷つけたのです。3年前、当時の駐中韓国大使が習近平国家主席に信任状を奉呈した後、芳名録に「萬恩必東」という言葉を書いたというのが話題になったこともあります。「萬恩必東」は「再造之恩」とともに、宣祖が文禄·慶長の役の際に朝鮮を救ってくれた明の恩に感謝し、忠誠を誓う表現ですが、これは北朝鮮の駐中大使ではなく、駐中大韓民国の大使が書いたものです。


文在寅大統領が2017年に北京大学の演説で、中国を高い山の峰、韓国を小さな国で描写し、大韓民国小寒民国とこき下ろして中国夢に韓国も一緒にするものだと言いました。中国夢は韓国が命がけで避けなければならない悪夢です。習近平が言う「偉大な中華民族の夢」は中国が支配する東アジアの秩序に戻ろうという夢です。韓米同盟を解体し、韓国の親中屈従を前提とした新型朝貢関係に戻ろうという話です。


最近では、中国の外務次官が提起する安保問題を協議するための米国、日本、インド、オーストラリアの4ヵ国の協議体であるQuadにも、中国の顔色をうかがって参加を拒否し、習近平国家主席訪韓に必死です。


独立門を建ててから123年が経ったのに、中国の前に立つと小さくなり、訳もなく肩身が狭くなり、中国に堂々と言うべきことを言うことを不敬なことと考える姿勢はどこから来るのでしょうか。


韓国人の精神世界で40年間、日本に国権を奪われたことは骨身に染みる恥辱として残っているのに、中国の属国として500年を過ごしたことは後悔しない傾向があります。 属国の中でも中国によく仕える他の模範になるという意味で中国が朝鮮を東方礼儀之国と呼びました。 ところが、これが朝鮮にとってどれほど侮辱的な表現であるかを知らず、中国の称賛と考える間抜けな人もまだいます。


「中国の覇権的横暴から大韓民国を守るために米国と日本を活用するなら、むしろ中国の属国に戻って屈従を選択した方がいい」という慕華思想と事大主義の残滓から韓国は本当に自由でしょうか。日本との友好と協力を論じる者は、無条件土着の倭寇と罵倒する雰囲気を見ると、日本の痕跡が見えるという理由で開化と発展を拒否した123年前に戻った感じがしませんか?


迎恩門と慕華楼を崩して独立門を建てたソ·ジェピル先生が、親中事大主義の亡霊が蘇ったのを見ると、墓から飛び起きるのではないでしょうか。今日私たちが一緒に悩むべき話題を投げてみることで、私の記念の辞とします。