李苺鈴のメモ&ブログ

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オーマイニュース『韓日関係改善?今や米国が日本を説得すべき時』

オーマイニュース『한일 관계개선? 이제 미국이 일본을 설득해야 할 때 (韓日関係改善?今や米国が日本を説得すべき時)』

http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002716811

2021.02.03

 

(和訳)

民主党クリントン政権時代の1994年に結んだ「ジュネーブ合意」と、民主党オバマ政権時代のいわゆる「戦略的忍耐政策」(strategic patience)は、いずれも北朝鮮の崩壊を前提とする一方的かつ非現実的な政策だった。結果はすべて失敗だった。

 

共和党政権が伝統的に軍事主義を掲げるのに対し、今も人権を名分にした対中国包囲戦線を強調していることからも分かるように、民主党政権は相対的に人権を掲げてきた。しかし、実はその人権政策は、共和党政権の軍事主義を大枠で堅持する大前提の上に単なる名分として掲げられる側面が強かった。

 

案の定、バイデン政権もトランプ政権に続き中国を戦略的競争者と規定し、米国、日本、オーストラリアそしてインドが参加する「クワッド」を中国包囲戦線であるインド・太平洋戦略の根本土台と明らかにした。

 

最も懸念される点は、米民主党政権が一貫して大韓民国を日本の下位パートナー、あるいは下位従属変数(dependent variable)に格下げする傾向を見せてきたという事実だ。

 

オバマ政権時代のGSOMIAの締結、慰安婦合意そしてTHAAD配備は、米国の「強要」と「脅迫」によって強制された政策だった。そして、それらの政策は例外なく日本の「国家利益(national interest)」に合致し、韓国は常に日本の下位に位置づけられ、単に日本の「従属変数」と見なした。

 

米国は常に両国間の葛藤の調整者を自認したが、過程を見れば米国はその度に日本の肩を持った。今、日本が様々な不利な客観的条件にも関わらず、唯一韓国に対しては高姿勢に出る理由は、ただ一つ、米民主党政権という背景の存在のためだ。

 

今、日本政府は口を開けば「慰安婦合意」が国家間の合意だと強弁する。しかし、朴槿恵政権は国民によって「追放」された政権だ。 その「追放」には多くの主要な要因があるが、「(韓日間の)慰安婦合意」はその中でも非常に核心的要因だった。

 

日本は一度も民衆の抗争によって権力が交代された「民主的経験」がないため、基本的に理解できないだろうが、「ろうそく抗争」で誕生した現政権に朴槿恵政権時代の「慰安婦合意」を認めろというのは政権を放棄せよというのと同様である。 朴槿恵政権が「慰安婦問題」の重大性を軽視し、とうとう推進したため、結局、「政権崩壊」にまで達するほどだったのだ。

 

そういうわけで、この「慰安婦問題(正確に言えば日帝の性奴隷問題)」は大韓民国という国家のアイデンティティを盛り込んでいる問題だ。日本はこれを理解しなければならない。

 

現在、米国をはじめ国内の一部の政治家などが日本との関係改善を主張している。近隣国家間の友好関係の増進は、望ましいことである。しかし、今まで説明したように、私たちにとって、慰安婦問題や強制徴用問題は、国家アイデンティティ(national identity)という厳格な問題であり、同時に「政権の存立」を占うかなり敏感な問題であるので、決して簡単に妥協して譲歩することはできない。

 

結局、「加害者」である日本の立場の変化と譲歩が少しでもあって、初めて関係改善がなされるのだ。しかし、日本は反省を怠った、いや、それどころか自ら反省しない国だ。

 

日本の譲歩を引き出す可能性は2つの条件しかない。最初の可能性は現代国家ではほとんど可能性のない仮説ではあるが、大韓民国が日本を戦争やそれに準ずる事態で敗北させたり植民地化したりする状況だ。日本は強い者に弱く、弱い者に強い。今、日本が米国に対してあれほど「従順」で「崇拝」する理由は、一言で言って米国に敗戦を経験したからだ。

 

一方、日本がどうしても中国を認めないのは、中国には一度も戦争で敗北しなかったためだという理由もある。まさにこのような理由で、日本の譲歩を引き出す第2の可能性が導き出される。まさに「米国が日本を説得する案」だ。今のところこの道だけが、韓日関係改善の実現性がある案だ。

 

急変する東亜情勢の中で、バイデン政権は前のオバマ政権時代の失敗経験を真剣に検討しなければならないだろう。そのためトランプ氏が追求してきた従来の政策慣行と踏襲から抜け出し、民主党政権が標榜する人権路線にも「真に忠実な」、また現実にも合致する政策を取っていくことを期待する。

 

[終]